煎り豆荒神

荒神社の参道
荒神社の参道。かなり急で横には補助ロープが…。
那波の町を見下ろす山に煎り豆荒神さんと呼ばれる荒神社がある。
江戸時代、徳川家光が将軍だった頃、寛永の大飢饉が起こり全国的に農作物が不作となり相生でも多くの餓死者が出た。
食うに困った庶民が米屋を襲い、蔵を壊して米を奪い取る騒動が起こっていた。

那波のとあるところに若い男が居た。
男も腹が減って倒れそうだったが、その男には病気で寝たきりの母親と弟が居た。
三人共もう何日も何も口にしていない。野草さえ食べ尽くされて、地面には草一本
たりとも無くなってしまっていた。
ひもじさに絶えられなくなった人々は手に手に、鍬や鎌をもって庄屋の土蔵を襲った。

男は庄屋の土蔵破りに加われば、食料を手に入れ、母と弟の病気を治してやれると
思い、一度は土蔵破りに加わろうとした。しかし、いくら苦しいとはいえ泥棒を働くなど
罰当たりだと考え直し、那波の荒神さまに祈り続けた。
その願いが届いたのか、庄屋が蔵にあった豆を村人に分けてくれるという。
豆は煎られ、村人ひとりひとりに少量だが配られた。
両手のひらに入るほどの量の豆だったが、これで少しは楽になるだろうと、男は病気の母と弟の待つ家に急いで帰って行った。

   
しかし、家についてみると、母親も弟も、もう冷たくなっ
ていた。

男は母親と弟を荒神社を見下ろす丘の上に葬った。
男は貰った煎り豆を一粒も食べずに、二人の墓の前に
供え埋めた。
男は二人を救えなかったことを悔やんで、いつまでもいつまでも墓の前で手を合わせていた。

翌日、男は墓に参りに丘を登っていった。
すると墓の前に、長い間見ていない目に鮮やかな緑の
豆が生えていた。
それは昨日、男が煎り豆を埋めた場所だった。

ふたつ並んで社があります、右側に荒神さんが祀られています。
那波荒神社
豆の芽
荒神(三宝荒神)とは
荒神というのは、文字どおり荒ぶる神のことで、三宝は仏教の三つの宝、すなわち仏(如来)・法(仏の教え)・僧(仏教の教団)のことである。
仏教を護る荒々しい神というのが、三宝荒神の意味である。これも役行者が感得したと伝えるが、卜占(占い)などを中心とする陰陽道で作った神のようである。略して荒神といい、「荒神さま」として親しまれている。
lこの神は仏教とそれをこれを信仰する人々を護り、悪人を罰する神であるが、いったん怒らせるとすべての人の幸福を破壊するほどの強大な力を発揮するという。このため荒神と名付けられたのである。
しかし、この神の名は仏教の経典にも見えず、日本古来の神道の神でもなく、まさに神仏習合の生み出したものである。
その姿は八面六臂(はちめんろっぴ・顔が八つあり腕が六本ある)が一般的である。主に修験道や日蓮宗で信仰されたが、かまどの神として民間にも広く信仰を集めている。  瓜生中著「仏教がよくわかる本」より抜粋

那波の荒神さんも赤い肌に衣をまとい、六本の腕があります。岩座の上に立ち、怖い顔をしていますが上品な感じがします。