相生・名所旧跡 ―地域別―

古墳や窯址の出土品は相生民俗資料館か有年考古館で見ることができます。

※文章は「相生ふるさと散歩」から転載しています。

 

 

八洞・野々・寺田地区

野々天満神社  ののてんまんじんじゃ
祭神 菅原道真 すがわらのみちざね  
天忍穂耳命 あめのおしほみみのみこと
由緒 創建年月日不詳。住古山城国北野天満宮の分霊を勧誘。慶応四年本殿を再建する。あじさい神社としても知られる。
境内 龍王神社 祭神:少童命
住所 兵庫県相生市若狭野町野々1190  
野々天満神社
宮野尾薬師堂  みやのおやくしどう
本尊 薬師如来
縁起 現在は集会所となっている。外には井戸があり、歯痛に効くとも、いぼとり井戸ともいわれている。
住所 兵庫県相生市若狭野町野々1196−26
いぼとり井戸
高野須城址  たかのすじょうあと
中世の山城で付近には城ノ谷・馬洗場という地名も言い伝えられており、頂上は若干の削平状をしているが城郭遺構はない。
住所 兵庫県相生市若狭野町野々
高野須須賀神社  たかのすすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。鬼瓦には文化十一年(1814)の銘記がある。
住所 兵庫県相生市若狭野町野々680
宮野尾の茶屋  みやのおのちゃや
野々天満神社の参道入り口の左側、十数軒の家並一帯を茶屋と呼んでいる。その昔街道を行交う人々の休み処として栄えた。昭和の初期まで洋服仕立・電気店・医院・煙草店などが並んでいた。
住所 兵庫県相生市若狭野町野々
 
八洞須賀神社  はっとうすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町八洞462-17
八洞山 称念寺  しょうねんじ
本尊 阿弥陀如来
縁起 永正十六年(1519)に開基。八代教岸は堂宇を再建し、貞享元年(1684)称念寺と称した。また塑造は高祖上人の真影で聖典の中に反古の裏書という仮名聖教があり、その中に反古で作った自作の真影がかかれている。その昔ある僧がこの真影を背負い、諸国修行中当寺に来て置き去りしという口碑がある。
住所 兵庫県相生市若狭野町八洞364−1
八洞の湯  はっとうのゆ
その昔、温泉があったといわれる。“湯あみしにまはれる人も里人も そよや八洞の談の立つまは”という歌も残っているが今はその存在は判らない。
住所 兵庫県相生市若狭野町八洞
寺田須賀神社  てらだすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町寺田132
寺田須賀神社
藤谷山 善行寺  ぜんこうじ
本尊 阿弥陀如来
縁起 元弘年間(1331~1334)赤松円心軍功を奏し、勅願によって天下泰平を祈願するため、一堂宇を創立し、八洞山太平寺とした。のち岡豊前守元則は釈道修と改め善行寺を建立した。
住所 兵庫県相生市若狭野町寺田365
善行寺
寺田釈迦堂  てらだしゃかどう
本尊 釈迦如来  室町時代作
縁起 元弘年間(1331~1334)赤松円心が天下泰平のため一堂宇を建立し、八洞山太平寺とした。岡豊前守元則の子元家は釈道慶と名乗り太平寺を祈願所として信仰した。この建物は元山上にあったが昭和三十三年集落の東に移した。涅槃図等が祀られている。
住所 兵庫県相生市若狭野町寺田68−1
寺田釈迦堂

 

 

若狭野・福井・下土井地区

下土井大避神社  しもどいおおさけじんじゃ
祭神 大避大神・稲倉魂命・素戔嗚命  おおさけのおおみかみ・うかのみたまのみこと・すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。大避大神として祀られている秦河勝は流罪になり現在の赤穂市坂越に流れ着く。この頃魚がとれなくなったのは秦河勝の業だとして殺害しようとした。覚悟した河勝はこの世の名残として笛を吹いたところ海中より魚が踊り出たので殺されずにすんだ。河勝が遊行のとき泊っていた場所に後、神として勧請し、土田大明神と称した。
境内 須賀神社 祭神:素戔嗚命 下土井池ノ下と山崎にあったものを明治四十一年に合祀する
稲荷神社 祭神:御食津命
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井88
下土井大避神社
下土井山崎山古墳一~四号墳 しもどいやまざきやまいち~よんごうふん
時代 古墳中期
遺物 須恵器片
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井字山崎
下土井土井遺跡・宮本遺跡 しもどいどいいせき・みやもといせき
時代 弥生後期~平安末期  集落跡
遺物 弥生式土器・須恵器片・水晶玉・青磁碗・銅銭(宋銭)
昭和五十八年ほ場整備中に発見される。地下保存されている。
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井字土井
下土井城址  しもどいじょうあと
文永四年(1267) 井戸・掘割・本丸跡が残る。
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井字城山
御門屋敷  ごもんやしき
元弘二年(1332)後醍醐天皇が隠岐に遷行の際、ご駐輦になった場所と言われこの名がつけられたという。この辺りは字名を政所敷とか中ハサミと呼ばれ、その昔政務所があったと考えられる。
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井813
大避殿山上の合戦  おおさけでんさんじょうのかっせん
東寺百合文書による地と康暦元年(1379)寺田法念の濫妨により、数度の合戦が下土井大避神社裏山山上において行われたことが記されている。
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井字土井
夜泣き地蔵  よなきじぞう
この地蔵はいつの頃からか夜泣き地蔵といわれ、子供をつれて参拝すると夜泣きが治るといわれる。台石には寛保二年(1742)四月五日・法名:釈道林具と刻まれている。
住所 兵庫県相生市若狭野町下土井129
夜泣き地蔵
福井須賀神社  ふくいすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所

兵庫県相生市若狭野町福井796−36

福井須賀神社
養性山 観音寺  かんのんじ 
本尊 子安観音
縁起 臨済宗妙心寺派 。推古天皇の御宇安産寺と称し、ことに難産を助けることにより子安観音と称していた。
正慶年間(1332~1333)赤松氏の兵火で廃虚と化したが、赤松氏の家臣岡野五郎右衛門が発心して一草庵を建立する。のち廃頽したが貞享年間(1684~1688)に秀峰禅黙和尚により再興開基した。
また浄円が盤珪国師の骨を納め一堂宇を建立。一境内に二ヵ寺のため寛文年間(1661~1673)浅野長恒が一つにし、養性山観音寺として浅野家の菩提寺とした。若狭野浅野家の墓地がある。
子安観音・聖観音・阿弥陀如来がある。
住所 兵庫県相生市若狭野町福井580
観音寺
福井池ノ下遺跡   ふくいいけのしたいせき
時代 弥生中期~後期  集落跡
遺物 弥生式土器・須恵器片・木炭・サヌカイト製石鏃
弥生時代の住居跡。柱の跡や排水溝などが残る。
現在は地下保存されている。
住所 兵庫県相生市若狭野町福井97−1
岡野近右衛門の末裔   おかのきんえもんのまつえい
赤穂四十七士の一人、岡野近右衛門(金右衛門)の末孫といわれる家がある。
義士事典によれば近右衛門の母及び娘が田井村(現福井)に居住していたとある。
住所 兵庫県相生市若狭野町福井
出須賀神社  ですがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町出43
宝台山   ほうたいざん
若狭野町での最高峰で海抜382.7メートル。昔は「三宝ヶ台」と呼んでいた。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野855
若狭野須賀神社  わかさのすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野819
若狭野荒神社
若狭野稲荷神社  わかさのいなりじんじゃ
祭神   
由緒 若狭野浅野家の鎮守で、家老川端作之右衛門によって勧請する。
毎年初午には富くじを行っていた。堂内に毘沙門天像(桃山時代作)があったが今は相生市民俗資料館2階に展示されている。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野819
若狭野稲荷神社
若狭野薬師堂  わかさのやくしどう
本尊 阿弥陀如来(伝 薬師如来)  
縁起 平安中期、和泉式部が捨てた娘・小式部をたずねて森五郎太夫方に宿をとった。五郎太夫が小式部を養っていたことを知り、和泉式部は小式部を京へつれ帰った。その時、小式部の守本尊であった薬師如来を預けていった。これを祀ったのが薬師堂といわれる。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野819
若狭野薬師堂
若狭野浅野陣屋跡   わかさのあさのじんやあと
初代の領主は浅野長恒で寛文十三年(1672)十五歳で若狭野三千石を貰い分家した。七代長発までほとんど江戸に住み、万延元年(1860)に至り若狭野陣屋に引き上げて居住した。今はわずかに当時の土塀、元札座であった法界庵と家来の墓がある。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野788
若狭野浅野陣屋跡
若狭野古墳   わかさのこふん
時代 古墳後期  方墳
遺物 壺、瓦などの須恵器片・土師器片。横穴式石室現存。県指定文化財
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野町字寺山
若狭野古墳

 

 

入野・雨内・鶴亀地区

和泉式部の伝説   いずみしきぶのでんせつ
権勢を誇った藤原道長の時代、十年前に先立った夫の橘道貞との間に生まれた小式部を故あって寺院の前に捨子し、人づてに聞けば播磨の国の人に拾われ育てられているとか――、和泉式部三十歳のときである。その後、上東門院の書写山参詣の際、和泉式部は一行と別れ独り播磨の野を西へ急いだ。秋の短い日差しが影をうつすかと思うと時に冷たい時雨が降りだした。はげしくなった雨に式部は道端の栗の木に身をよせた。その時不思議にも枝がしだれ、式部を雨からかばってくれたという。
やがてこの地で我が子の行く末を聞き、路をいそぐ途中綿をつむ少女を見て声をかけた式部は少女の案内で五郎太夫の家についた。その日は一夜をかり都の話などをし、また横に座った娘の話を聞き、守本尊を所持していたことから我が子とわかり涙にくれたという。五郎太夫はこころよく小式部を手渡し、身代わりとして小式部は守本尊を残した。和泉式部に関係するものとして、薬師井・梅の木・薬師堂・斉垣・しだれ栗の木などがある。
住所 兵庫県相生市若狭野町
雨内須賀神社  あまうちすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町雨内293
雨内須賀神社
古岸山 教証寺  こがんざん きょうしょうじ
本尊 阿弥陀如来  
縁起 山本九郎右衛門良尚が蓮如上人の法話に随喜し、真言宗から真宗に転じた。
寺宝 寂如上人御真筆六字名号・赤穂四十七士位碑・堀部安兵衛書の負つづら・和泉式部しだれ栗縁起書
住所 兵庫県相生市若狭野町雨内388
教証寺
雨内古墳群   あまうちこふんぐん
時代 古墳後期
遺物 須恵器片。宅地造成、道路工事により消滅
住所 兵庫県相生市若狭野町雨内字殿山
和泉式部旧跡碑   いずみしきぶきゅうせきひ
和泉式部が雨内で雨宿りをした栗の木があった場所に石碑が建てられている。
和泉式部時代の栗の木は現在、相生民俗資料館に展示されている。
住所 兵庫県相生市若狭野町雨内23
和泉式部旧石碑
馬場(通称:猿の山)   ばば
雨内集落の東部の小高い山の山頂に、山王権現社の堂宇がある。通称猿の山と呼びこの山一帯は若狭野浅野氏の調練場があったといわれ、馬通りの地名も残っている。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野234−15
稲垣公廟   いながきこうびょう
祭神 牛頭大王
由緒 秦河勝の家臣、稲垣氏がこの地を開墾したが過労のために亡くなった。開墾の際に掘り出した石を山にして祠を建てた。
住所 兵庫県相生市若狭野町若狭野234−15
稲垣公廟
入野須賀神社  いりのすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町入野249
入野須賀神社入野須賀神社の祠
京野尾庵  きょうのあん
本尊 阿弥陀如来  
縁起 天明六年(1786)開基。天明後期に安原宗右衛門が本堂を再建し、阿弥陀堂と称し明治十三年(1880)京野尾庵と公称。仏像は恵信僧都の作といわれる。入り口の竹薮を阿弥陀藪とよぶ。
住所 兵庫県相生市若狭野町入野1814
京野尾庵京野尾庵阿弥陀
入野大谷古墳 一・二号墳  いりのおおたにこふん
時代 円墳。一部残存。
遺物 金環・管玉・提瓶・杯・壺片。
住所 兵庫県相生市若狭野町入野字大谷
鶴亀金刀比羅神社  つるかめことひらじんじゃ
祭神 金山彦神  かなやまひこのかみ
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町入野1060
鶴亀金刀比羅神社
鶴屋・亀屋  つるや・かめや
片島宿(現たつの市)と有年宿(現赤穂市)の間の宿として鶴亀が栄えていた頃、旅宿を鶴屋、酒屋を亀屋といった。店の主人も鶴屋千歳(浜崎)、亀屋万歳(高田)と名乗っていた。入鹿渕(鶴亀池)から出た鶴と亀の形の蓬莱石を店先に飾っていた。
住所 兵庫県相生市若狭野町入野
入鹿渕(鶴亀池)  いるかぶち(つるかめいけ)
入鹿の渕とよばれるこの池は、この辺り一帯が蘇我入鹿の領地であったからといわれている。
住所 兵庫県相生市若狭野町入野1119−2

 

 

上松・東後明・西後明地区

東後明須賀神社  ひがしごみょうすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町東後明159−32
東後明須賀神社
苧谷川上流  おこくがわじょうりゅう
苧谷(からむし)から流れるこの川、その昔に苧を栽培していたといわれる。苧の糸は下駄の鼻緒に用いられ、また南京袋を作るのに長く用いられた。この川は水が清く、上流には昔、山椒魚がいたという。
住所 兵庫県相生市竜泉町
 
道標  みちしるべ
『右ヤマ・左ヤノ道』 『山道改築セシニ関係ナキ物ハ荷車ノ通行一切断ル 大正十一年四月 当村』と刻んである。
住所 兵庫県相生市若狭野町東後明字渡リセ
みちしるべ
西後明須賀神社  にしごみょうすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町西後明107
西後明須賀神社
後明富士  ごみょうふじ
眺める方向によって富士山に似ていることから、この名がついた。
住所 兵庫県相生市若狭野町西後明160−1
後明富士
西後明のぼり窯跡群  にしごみょうのぼりがまあとぐん
時代 奈良時代から平安時代後期。一号から全部で三十七基の窯跡が発見されている。相生市内で須恵器生産が一番盛んだった。
現在ほとんどが消滅。
遺物 須恵器、壺、瓦
住所 兵庫県相生市若狭野町西後明267
上松須賀神社  うえまつすがじんじゃ
祭神 素戔嗚命  すさのおのみこと
由緒 創建年月日不詳。
住所 兵庫県相生市若狭野町上松510−16
上松須賀神社
白鳥山 円立寺  
本尊 阿弥陀如来  
縁起 赤松氏の一族、鵜野弥三郎が出家し、円立庵を創立したといわれる。宝暦十年(1760)に円立寺となる。
住所 兵庫県相生市若狭野町上松63
白鳥山円立寺

古墳や窯址の出土品は相生民俗資料館か有年考古館で見ることができます。

※文章は「相生ふるさと散歩」から転載しています。