古墳や窯址の出土品は相生民俗資料館か有年考古館で見ることができます。
※文章は「相生ふるさと散歩」から転載しています。
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下田・二木地区
二木八幡宮神社 ふたつぎはちまんぐうじんじゃ |
祭神 |
応神天皇 おうじんてんのう |
由緒 |
赤松時代の光明山城の守護神、山上の正源寺内にあったが、廃寺となったため享保年間(1716~1736)に現地に建立された。
懸仏があり、毘沙門天と思われる像をはりつけたもので室町時代の作と考えられる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町二木533 |
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京明の地蔵 きょうめのじぞう |
経読みとか経明、子供を抱いている姿から子安地蔵ともいわれる。
恵便・恵聡が字二町田の縦の木の下に庵を結び、お経を読む声が遠くまで聞こえたという。また、経を埋めたところともいわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町二ツ木字京明 |
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縁切り地蔵 えんきりじぞう |
道が整備されるまで簡単にお参りが出来なかった。この地蔵にお参りしてから榊の縁結び地蔵にお参りする手順である。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町二木1046 |
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下田西山古墳 しもだにしやまこふん |
時代 |
古墳中期。
現在、墳丘欠失。 |
遺物 |
頭蓋骨・青銅鏡片・鉄鏃・槍鉋・枕石・須恵器片。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町下田545 |
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下田須賀神社 しもだすがじんじゃ |
祭神 |
素戔嗚命 すさのおのみこと
秦河勝 はたのかわかつ
倉稲魂命 うかのみたまのみこと |
由緒 |
創建年月日不詳。
明治三十九年川東の大避神社および川西の伊垣神社を合祀、昭和十三年須賀神社を移転する。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町下田138−17 |
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真広・上土井・小河地区
真広大神宮社 まひろだいじんぐうしゃ |
祭神 |
天照大神 あまてらすおおみかみ |
由緒 |
創建年月日不詳。伊勢神宮より天照大神を勧請したとされる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町真広283−4 |
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真広薬師堂(医王寺) まひろやくしどう(いおうじ) |
本尊 |
薬師如来 |
縁起 |
承和年間(834~848)比叡山延暦寺の慈覚大師は恵便・恵聡の旧跡を訪ね来て、ここに草庵を結び薬師如来を刻み堂宇を建立した。
鐘は第二次世界大戦中に供出されたが昭和二十一年(1946)九月に広島三菱製錬所より帰還。金質調査のため二十一の穴があけられている。 |
境内 |
水子地蔵・五輪塔 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町真広194 |
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上土井須賀神社 かみどいすがじんじゃ |
祭神 |
素戔嗚命 すさのおのみこと |
由緒 |
創建年月日不詳。 |
境内 |
諏訪明神武御名方神 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町上土井315 |
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小河宇麻志神社 おうごうましじんじゃ |
祭神 |
宇麻志阿斯訶備比古遅神 うましあしかびひこぢのかみ |
由緒 |
創建年月日不詳。昔は馬子神社といい、蘇我馬子を祀っていた。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町小河1103 |
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小河山 観音堂 おうごさん かんのんどう |
本尊 |
十一面観世音菩薩 |
縁起 |
役小角が諸国修行の途次、渇きをしのぐべく石間の清水を掬い、八面玲瓏の自然石を百拝する之が観音堂のはじめである。
その後、保元年間(1156~1159)沙門行安が堂宇を建立する。建武年間( 1334~1338 )に感状山城攻防の際焼失。明暦元年(1655)浅野長直の信仰で堂宇を再建。 |
境内 |
天照大神宮 |
金比羅大権現 |
天満神社 |
御神屋 |
古墳 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町小河27 |
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椿峠の石仏切り つばきとうげのせきぶつきり |
椿峠は平安時代の中国街道で、鎌倉時代の石仏が二体安置してあった。
昔、とある武士がこの峠の頂上で化け物を切りつけた。後でよくみるとそれは石仏だった。石仏一体は三つに切られている。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町小河字釜ヶ谷 |
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菅谷・上・瓜生地区
瓜生八柱神社 うりゅうやつはしらじんじゃ |
祭神 |
国狭槌命 くにのさづちのみこと |
由緒 |
創建年月日不詳。
明治三十一年(1898)までは村内にあったが、今は王子山に鎮座。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生568−2 |
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瓜生大池と弁財天 うりゅうおおいけとべんざいてん |
浅野公が築池したといわれるこの池は水面三町余り(約0.2975 km2)田地三十有余町をうるおす。竣工後の道具及び文具類は那波の丸屋まで運送したが、その際に赤穂事件の報があったという。これから瓜生大池は元禄十四年(1701)に竣工したとわかる。明治中期までこの池に使用された「猿の槌」があったが今はない。
池の向岸に弁財天(市杵島姫命)を祀る。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生291−2 |
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海老名宝篋印塔・五輪塔 えびなほうきょういんとう・ごりんとう |
瓜生大池のあたりを多沖(たちゅう)といい、海老名弾正の墓がある。相生の豪族の一族が晩年ここに庵を結んだ。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生48 |
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瓜生羅漢石仏 うりゅうらかんせきぶつ |
本尊 |
釈迦如来 |
普賢菩薩 |
文殊菩薩 |
十六羅漢 |
縁起 |
創建年月日不詳。(室町時代の作とも)
欽明天皇の御宇、高麗の僧・恵便と恵聡が後世衆生に石仏を刻んだとも、真言宗の山伏が戦国武士の霊を弔うために刻んだともいわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生28 |
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らかん立木如来 らかんりゅうぼくにょらい |
本尊 |
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縁起 |
羅漢石仏のある山の上に、山本力太郎翁が二十五年間羅漢渓にこもり昭和十二年(1937)に刻んだ如来像がある。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生28 |
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らかんの安産杉 らかんのあんざんすぎ |
羅漢石仏の岩窟前にある杉二代目の杉で、この杉の皮が安産の霊薬といって
持ち帰る人があるという。
「あらかんの奇特もあつきすぎの皮いただく人の安産をする」といううたがある。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生28 |
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らかん長命水 らかんちょうめいすい |
羅漢石仏にいくまでの道に長名水と刻んだ標石がある。
昔は湧き水があったようだが今はない。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生28 |
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感状山城址 かんじょうざんしろあと |
感状山(約301米)山頂にある。頂上は平坦で本丸があった。東面は2m程の道があり馬馳場であった。南は二の丸、瓜生の王子山まで頂上の平坦地がつづく。
鎌倉時代に瓜生城とよばれ、瓜生左衛門尉が初めて築城したといわれ、その後赤松則祐が居城した。建武三年(1336)に新田義貞軍の進攻に対し、赤松円心の白旗城に呼応した赤松則祐がこの城にたてこもって防戦した。その戦功により足利尊氏から感状を与えられ感状山城とよばれるようになった。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生28 |
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眉仙筆塚 びせんふでづか |
相生市が生んだ偉大な画家福田眉仙(ふくだびせん)の多年愛用した筆十本と墨が納められている。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町瓜生48 |
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上天満神社 かみてんまんじんじゃ |
祭神 |
菅原道真 すがわらのみちざね |
由緒 |
創建年月日不詳。
ナベコ天神とよばれ、大変力があったといわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町上594 |
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菅谷八幡神社 すがたにはちまんじんじゃ |
祭神 |
応神天皇 おうじんてんのう |
仁徳天皇 にんとくてんのう |
由緒 |
創建年月日不詳。
天皇二人がこの宮に立ち寄ったため盆踊りが盛んになったといういわれがある。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町菅谷275−2 |
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松涛山 教順寺 |
本尊 |
阿弥陀如来 |
縁起 |
天明四年(1784)浄信の開基。本堂脇壇上の如来像は一木造りで平安時代末頃の作だといわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町菅谷304 |
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藤ヶ崎古墳 ふじがさきこふん |
菅谷村字藤ヶ崎の山上にあって、通称岩神さんとよばれている。円墳で板名はないが玄室に台石をおき、祠をおき、前方に格子を立てている。
その昔、この古墳を壊したので罰を恐れ岩神を祀ったといわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町菅谷304 |
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樒祭 しきみまつり |
菅谷にある高麗の僧・恵便の刻んだといわれる石仏の前で毎年一月六日にしきみ祭が行われる。モグラの害を防ぐといういわれがある。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町菅谷 |
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山王神社の鳥居 さんのうじんじゃのとりい |
三濃山にあった山王権現社の鳥居で、三濃山頂まで参詣に行けない村人のために田の畦に立てられ、ここから山頂の山王権現を拝んだ。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町菅谷 |
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中野・森・金坂・釜出地区
森磐座神社 もりいわくらじんじゃ |
祭神 |
磐座神 いわくらのかみ |
宇迦魂命 うかのみたまのみこと |
秦河勝 はたのかわかつ |
由緒 |
往古は石蔵明神また岩倉三社権現といい、平安時代には赤穂郡四座の一つで、播磨国内鎮守明神として幣帛使が参詣された。
境内には力石とよばれる石があり、この石に神がやどり担ぐと神の助けを受けられるという占いがある。坐光石とよばれる石もある。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森352 |
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森龍王社 もりりゅうおうしゃ |
祭神 |
少童命 わだつみのみこと |
奥院 |
阿弥陀如来 |
勢至観世音菩薩 |
由緒 |
雨乞いの神(一般的に少童命は海の神)で、鳥居には元文四年(1739)と刻す。
奥の院は神仏分離の際、山上に移された。
大岩を数多く廻れば長命するといい、祭日にはその効果が特に多いという。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森字神田(竜王山) |
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感状山 光専寺 |
本尊 |
阿弥陀如来 |
親鸞上人 |
蓮如上人 |
縁起 |
開基は赤松義村の孫・小林義光。その頃蓮如上人の御代で六字名号を拝領、その後第六代教誓に至り実如上人より寺号・木仏を賜る。 |
寺宝 |
福田眉仙の襖絵 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森69 |
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飯野山城址 いいのざんしろあと |
感状山の東の山で、50mと20mの平削地がある。また空堀のあともあり、赤松村秀・政秀が居城していたと伝わる。感状山城の出城ともいわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森字東山(高巖山) |
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金堀の市ノ瀬風 かなほりのいちのせかぜ |
金堀の名称は建武年間(1334~1338)赤松氏の軍資の金を掘ったところといわれ瓜生と森の境界辺り。この辺りの市ノ瀬一帯は強い冷たい風がよく吹き、地獄へ行くと閻魔大王が「汝は一ノ瀬にあったか?」と聞くので「よくあった」と答えると罰を一段軽くしてもらえるという。謡曲家は冬の寒い夜、市ノ瀬の風にもまれて発声練習をし、喉をからすという。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森字金堀 |
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権現山の天狗岩 ごんげんさんのてんぐいわ |
磐座神社背後の権現山に天狗岩とよばれる岩があり、岩に神がやどるといわれ信仰されていた。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森(権現山) |
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矢野神山 やのしんざん |
高巖山・権現山・竜王山等を総称して矢野神山という。
万葉集に柿本人麻呂の一首あり。
「つまごもる矢野の神山露霜ににほひそめたり散りまく惜しも」 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森 |
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大椋の木 おおむくのき |
樹齢約600ねんといわれる。昔、この地に荒神社があり御神木として大切に保護されたため残ったといわれる。昭和四十八年に県指定文化財に指定される。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町森字向田 |
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中野伊垣神社 |
祭神 |
倉稲魂命 うかのみたまのみこと |
由緒 |
創建年月日不詳。
明治四十一年(1908)森磐座神社の境内社として合祀される。
昭和十年(1935)この地に拝殿を建立、神霊を還迎する。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町中野99 |
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中野薬師堂 なかのやくしどう |
本尊 |
薬師如来 |
縁起 |
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住所 |
兵庫県相生市矢野町中野24 |
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金坂火魂神社 かねさかかこんじんじゃ |
祭神 |
火産霊命 ほむすびのみこと |
誉田別命 ほむたわけのみこと |
天照大神 あまてらすおおみかみ |
春日大明神 かすがだいみょうじん |
由緒 |
創建年月日不詳。
元は上村字井上の道端に有り、藤棚がきれいな神社であった。
個人の神社であったが、明治二十二年(1889)の神社合併の際、金坂がもらって祀った。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町金坂539 |
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金坂薬師堂 かねさかやくしどう |
本尊 |
薬師如来 |
縁起 |
僧・重源が榊からの帰途、木片に刻んだ仏を放り投げたのを安置したという。宝永五年(1708)武左衛門が再興する。本尊は江戸時代の作で一体は宝永年間(1704~1711)のものである。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町金坂539 |
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釜出八柱神社 かまでやつはしらじんじゃ |
祭神 |
国狭槌命 くにのさづちのみこと |
由緒 |
創建年月日不詳。 |
境内 |
岩大明神 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町釜出473 |
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釜出観音堂 かまでかんのんどう |
本尊 |
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縁起 |
釜出集落東の山頂にあったが、大正年間(1912~1926 )堂宇が破損した為、本尊を公民館に安置した。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町釜出429 |
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榊・能下・三濃山地区
榊金峰神社 さかききんぶじんじゃ |
祭神 |
安閑天皇 あんかんてんのう |
広国押建金日命 ひろくにおしたけかなひのみこと |
由緒 |
創建年月日不詳。吉野山金峯神社の分神を祀る。 |
境内 |
天満宮 祭神:菅原道真 |
磐座神社 森磐坐神社の分神。 |
御新宅神社 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町榊431−2 |
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小谷山 法林寺 ほうりんじ |
本尊 |
阿弥陀如来(江戸時代作) |
縁起 |
秦河勝の家臣・山本刑部が榊村に移住し、後に大和国が起りの地名の三輪と名乗る。文亀元年(1501)了恵が実如上人の化導により僧となり、これが法林寺の開基となる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町榊745 |
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高厳山 西教寺 さいきょうじ |
本尊 |
阿弥陀如来 |
縁起 |
赤松氏の子孫・祐信が実如上人に帰依し、浄智と改名して明応三年(1494)に開基。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町榊319 |
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榊血流阿弥陀堂 |
本尊 |
阿弥陀如来(室町時代作) |
縁起 |
奈良の俊乗坊重源が奈良大仏の寄進にこの地に来たり、霊木を見て仏を刻んだといわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町榊319 |
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能下八幡神社 のうげはちまんじんじゃ |
祭神 |
応神天皇 おうじんてんのう |
由緒 |
創建年月日不詳。 |
境内 |
速男太神社 祭神:武速須佐男命 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町能下135 |
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犬塚五輪塔 いぬづかごりんとう |
字三本卒塔婆の中間にあたる道路端に五輪塔がある。秦河勝が猟をしていた際に猟犬が吠えるのを怒った河勝公が三匹の犬の首をはねたところ、首は宙をとび河勝公をねらっていた大蛇にかみつき、公を救ったという。犬の首をはねてしまった事を後悔した河勝公は弓(矢という話もある)を三本に折って卒塔婆にした。
この事からこの辺り一帯を字三本卒塔婆という。
五輪塔はこの犬たちの供養塔である。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町能下273 |
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鳴岩の羅漢 なるいわのらかん |
奇石と清流にはさまれた景地に鳴岩の羅漢が一体ある。その昔、羅漢渓谷から猿が背負ってきたという言い伝えが残っている。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町能下字北山 |
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珍笠坊 ちんかさぼう |
能下公民館のそばに五輪塔が数基ある。その昔、堂宇があって三濃山観音寺の下坊ともいう。また能下開発の功労者、八兵衛の供養塔ともいう。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町能下187 |
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総仏 |
能下村中の仏で山脇家に安置していたが、今は公民館に安置してある。
本尊は六字名号で実如上人の御真筆であるといわれる。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町能下187 |
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間谷の泉 |
感状山の裏手より能下集落に下りる谷間がある。その谷をせき止めて石を積み上げ、感状山城の飲料水に使ったといわれている。感状山城の伝説にこの泉を断てば落城すると教えた者がいたため、城は間もなく落城したという。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町能下字西山北 |
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三野山 求福教寺 みのうさん ぐぶくきょうじ |
本尊 |
千手千眼観世音菩薩 |
聖徳太子 |
弘法大師 |
縁起 |
貞観六年(864)秦内麻呂の建立という。また弘法大師の建立ともいう。大堂塔を建立しようとしたが土地が狭い為、高野山に変更されたという。その後、貞観六年(864)秦河勝の孫の 秦造内麻呂がこの地で修行し堂宇を修復した。その後、源義家の信仰厚く三濃千坊の大繁昌をみる。のち保元平治の乱で平氏の焼き討ちに合い焼失。三重塔・奥野坊・三条坊・宝持坊・赤井坊・蓮華坊・久保院・裏門・大門の跡がある。 |
境内 |
大避神社 祭神:秦河勝 |
弁財天社 祭神:市杵島姫命 |
水子地蔵 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町三濃山字西谷 |
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三濃山 山王神社 みのうさんさんのうじんじゃ |
祭神 |
大山祇命 おおやまつみのみこと |
由緒 |
求福教寺の守護神で菅谷に鳥居がある。昭和三年に社殿再建。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町三濃山字西谷 |
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経納山 きょうのうさん |
郡中の高峰で頂上に大椎の木があり、四方十三カ国からの目標だったという。求福教寺の廃頽のとき経文を埋めたという。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町三濃山字西谷 |
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文福茶釜 ぶんぶくちゃがま |
求福教寺の宝物で秦河勝が遊猟の際に持参したものといわれる。湯が沸騰すると
「リリリン」と鳴り、その秘音は数丁(一丁=約109メートル)にわたり聞こえたという。
摂州芦屋釜で鎌倉時代の作とか。 |
住所 |
現在は相生市立民俗博物館に展示(相生市那波南本町11−1) |
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三濃山の腹痛石 みのうさんのはらいたいし |
瓜生から三濃山に登る途中の道端に大きな石がある。大人が横になる位の大きさだが、腰をかけると腹が痛むという。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町三濃山 |
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行者石 ぎょうじゃいし |
求福教寺うらの藪林の中に平たい二個の石がある。その昔修行に使われた石といわれている。 |
住所 |
兵庫県相生市矢野町三濃山 |
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古墳や窯址の出土品は相生民俗資料館か有年考古館で見ることができます。
※文章は「相生ふるさと散歩」から転載しています。
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